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昔、一人の少女がいた。

少女の名は、シャルワナ=イーゼンブルグ。

ドンドルマで一、二を争う上流貴族『イーゼンブルグ家』に生まれた娘。
その長女にして、
期待の次期家長であった。


――幼い頃からの過酷ともいえる教育により、文武両道、才色兼備にして類い稀なるカリスマ性を持っていた少女。

そんな彼女は。
世代交代まであと一年半、というところでその姿を消した。

消えたといっても忽然と消えたわけではない。
ちゃんと父親から了解を取って。
断固として、生まれてから一度も、外出の許可でさえ出さなかった父親から。
文字通り、言葉と力でその許可を『奪って』姿を消したのだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



――そして現在。少女とその父親は、ユクモのギルドにて一年半振りの再開を果たしていた。
しかしそこには当然、感動的なムードは存在しない。

「シャルワナ、約束の時は来た。これ以上の我が儘には付き合えん」

「………」

現イーゼンブルグ家の長、ダイガス=イーゼンブルグの重く低い声が静まり返ったギルドに響かせる。
黒々とした髭を生やしたその風格は威厳に満ち、決して大柄ではないその体格を見かけ以上に大きく見せていた。

「黙りか……。シャルワナ、シャル。こっちを見なさい」

「その呼び方で呼ばないで」

冷たく、棘のある言葉。

そんな彼女に対して、ダイガスは――内心穏やかではないだろうが――おどけるように言ってみせた。

「父に向かって随分な口ぶりじゃないか、シャル。あの時、私が後を追わせなかったのはお前の決意に対しての手向けのつもりだったのだぞ?」

「……後からならいくらでも言えるわ」

その言葉にダイガスの目がギッと険しくなる。

「お前は折角の、お前が自由でいられる最後の時間を棒に振ったようだな。お前なら立派にイーゼンブルク家を継げると思っていたが……どうやら私の見込み違いだったようだ」

「勝手に決めないで! いつまでも家柄にこだわり続けて……その為に一体どれだけの犠牲が払われたと思ってるの!?」

「…………」

空気が不穏に変わる。
しかし少女は続けた。

「家を出てから街で暮らして、旅をして、色々調べたわ。……やっぱり私の家はおかしかった。意固地なプライドなんか張らずに、下らない伝統なんか捨てて、手を取り合えば……皆幸せに……出来たはずなのに……本当に大切なものを守れたはずだった!」


――お母様だって……


シャルワナは――シャワは憎しみの籠った目で実の父親を睨んだ。


「下らん。……もはや口で言っても無駄なようだな」

ダイガスはその視線を一蹴し、腕を振り上げる。

「……っ!」

咄嗟に目を瞑るシャワ。

しかしその腕が降り下ろされることは無かった。


「……何の真似だ」

「貴方は少し冷静になるべきだ。生憎ここはハンターズギルドの中……ギルド内での争いは僕たちギルドナイトが取り持たせて貰うことになっているんでね」

ダイガスの腕を掴んだバルスの姿が、そこにはあった。

「バ…バルス……」

いつになく弱々しく名前を呼ぶシャワ。

「ごめんよ、見てられなかった」

バルスがダイガスの前に立ちはだかる理由はそれで十分だった。

「実の娘に手を上げるなんて、よくないですね」

「素顔も見せない奴の戯れ言など聞かん。不気味な奴め……そこをどけ」

バルスの腕を振り払い、なおも傲慢に押し退けようとするダイガス。

しかし、

「なら素顔の見えるギルドナイト二名追加で文句無いでしょうか?」

「改めて言う、ここは俺たちギルドナイトが取り持つ」

「次から次へと……」

チョモとフレアがずい、とバルスに並んでいた。

「二人とも……!」

「おい金髪、狩りん時の凄みはどこいったんだよ? 親父の前だからってビビってんのか? ……そんなたまじゃねぇだろ」

「同感だね」

フレアがにっと笑うと、チョモが同感だとウインクを送った。

「シャワがいつも何か考えてたのは知ってたよ――何かを決意してたのも。僕らが後押しするからさ……安心していい」

バルスが力強い言葉をかける後ろでは、アクアとハンマーがいつでも出れるように用意してくれている。

こんな、誰もが呆けるような急展開でも味方してくれる人達が、本当に心強かった。

「ふふっ……そうよね。何を怖がっていたのかしら」

どこかにまだ、昔からの父への畏怖が残っていた。
しかし、その最後の枷は――今外れた。

――もう大丈夫、ありがとう。

その言葉に三人はスッと後ろに下がる。
再び父親と合間見えたシャワの目にはいつもの、いつも以上に強い光が宿っていた。

「お父様。時期が来たら私から出向こうと思ってたのに、わざわざ出向いて下さってありがとうございます」

「ふん、やっとまともな口を開いたかと思えば……その目付き、気に入らんな」

ダイガスが低く唸る。

シャワの周りには、今やダイガス以上の威厳が漂っていた。

「約束通り、一年の自由を終えた私はイーゼンブルク家を継ぎます」

「分かればいい、なら早速……」

「――しかし」

シャワの話は終わりではなかった。
一年間考えてきたことを。バルスと共に行動して気付いたことを。

――今、父親にぶつけようとしていた。

「私が継ぐのはイーゼンブルク家のみ。お父様の、イーゼンブルク家の下らない伝統を引き継ぐ気はさらさらないわ……我が家が我が家であるために犠牲が必要なら、そんな家はいらない」

「なんだとっ!? 正気で言っているのか!」

シャワは、怒りに体を震わせるダイガスと、その後ろに控える従者にも聞こえるように、大きく胸を張り、高らかに声を張った。

「聞きなさい! イーゼンブルク家の当主となることを、今ここに宣言するわ。それにあたって、土地や医療における権利を街に明け渡す。土地なんか、あんなに沢山あっても意味がないもの」

「何を勝手な……」

ダイガスが憤慨を露にする。
しかしここからが本当の隠し玉だった。

「そして裏で取り扱っている禁止薬物やモンスターの違法取引の撤廃」

「!?」

ざわり、周りで様子を窺っていた村人にもどよめきが広がる。

「……こんなことまでして家の威厳を取り持ちたいなんて、正直知ったときは驚いたわよ。全部が全部ギリギリ法の穴を抜けていたから気付くのに時間がかかったけど、今はもう違犯よ。証拠はギルドへ提出するので、しかるべき罰を受けてください……お父様」

「……そんなところによく気付いたな」

「私を誰だと思ってるのよ。むしろ喜んで欲しいわ、お父様の教育のお陰で娘がここまで優秀になれたんだってね。……何も知らないで、私が人形みたいに表面上の家長を継ぐと思った?」


「……流石は我が娘といったところか」




心配するように駆けつけた従者を振り払いながら、ダイガスは尚も威厳を崩さずにシャワを見た。

「私が手を汚してまで守りたかったもの、守らなくてはならなかったものが何なのか……いずれ分かる。その時にどういう決断をするか、今の内に考えておくんだな」

「私は私のやり方で我が家を守っていくつもり。心配は要らないわ」

心配か……お前にそんな気遣いはせんよ、とダイガスはカカと笑い、そのまま後ろを向いてギルドを出ていった。
その後、彼はしかるべき場所へと連れていかれたという。



     


「……皆ごめんなさい! 何て言っていいか分かんないけど、本当に驚かせてごめんなさい。そしてありがとう……もう大丈夫だから」

開口一番、シャワが両手を胸の前で合わせて口にしたのは、そんな謝罪の言葉だった。

「いやぁ気にしないで! 私たちも余りの急展開にノリで動いちゃったって言うか……ねぇ?」

「あ、あぁ。俺もつい反射的に……なぁ?」

「ハンマーさん! 私たち何もしてない!」

「違う! カットされただけだから! 私は!」

「私は!?」

「アクアは前回のせいでしょ!」

「ぜ、前回って何の事ですか!」

皆が皆、シャワの問題が解決したであろう事に喜び、彼女を囲んで盛り上がった。
何より、有名貴族の内でそんなことが起こっていた事への驚きも相まって大騒ぎとなった。


「………」

ただ、そんな喧騒の中で一人、バルスはじっとシャワのことを見つめていた。





――夜、皆が騒ぎ疲れて寝静まった頃。村の広間で焚き火で暖を取る人影が二つ。

別段、焚き火をつけるほどの寒さは無かったのだが、何となくそうするべきだと感じたのだ。



「じゃあ……帰るんだね?」


バルスが、確認するようにゆっくりと言った。


「えぇ。今の家は大分ごたついてると思うし、私が行かないとやっぱりダメね」

シャワは少し寂しそうにクスリと笑う。


「私の旅は一旦終わり。貴方のこと散々聞いておいて、私は結局……最後まで言えないままだったわね。……本当にごめんなさい」

「レディの秘め事を詮索する紳士が何処にいるのさ? ……大丈夫。何となくだけど、分かってた」

「そっか……ありがとう」
そう言って、しばらく揺れる炎を眺めていたシャワだったが、「やっぱり……」と顔を上げた。

「我が儘かもしれないけど。そうやって私の重みを背負わせようとする、ずるいことなのかもしれないけど……バルスには知ってて貰いたいの。
私が旅に出た理由。
世間知らずだった幼い私の、笑えないくらい稚拙な話なんだけど……」


不安げにバルスの方を覗くシャワ。
すると勿論、そう一つ返事で返す彼の真っ黒な横顔が見えた。
炎に照らされたその仮面下で、彼が優しく微笑んでるのが――今の私には分かった。



「……三年前、彼女がイーゼンブルグ家を訪れたことから私の物語は始まったの」

シャワは思い返すように語り始めた――



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「お父様! この家にハンターが来るって本当ですか?」


――当時14だった私はその話を聞いた時、大興奮でお父様のもとに駆けつけたんだっけ。

「そうだ。少しの依頼と、お前に外にどれだけ危険があるかを聞かせておきたくてな」

「うわぁ凄い! 一体いつ来るの?」

――当時の私は箱入り娘もいいところで、外の世界のことなんて勉強でしか知ることが出来なったの。
――お父様はハンターに憧れていたらしく、家にはハンターの冒険談や英雄の伝記が沢山あった。だから私も、ハンターっていう職業に強い尊敬と憧れを持っていたのよね。

「明日には着くだろう。それよりもシャルワナ、何度も言うが私と話すときは……」

「け、敬語でしたね。すみません……」

――これは私が十になった時に言われたこと。
でも今まで普通に接していた父親にいきなり敬語を使えと言われて戸惑っていたのは確かよね。
……思えばあの頃からお父様は変わってしまっていたのだと思う。

「……まあいい。ともかく、明日は我が家の長女として名を汚すこと無いよう心掛けなさい」

「はい!」

憧れのハンターが家に来る。
その事で夢中になっていたシャワは怒られたことなどもう忘れて、無邪気な返事をしていた。

「ダイガス様。もうそろそろ……後は私がしておきます」

―― ……。

「うむ、そうするか」

「さぁ、シャルも明日の為に早く寝ておきなさいな」

――本当に優しい声だった。今でも鮮明に思い出せる……お母様の笑顔。

「はい、お母様。おやすみなさい!」

――少なくとも、あの頃の私は。何も知らなかったあの頃の私は幸せだったのだろう。
小さな小さな、箱の中で。あの時の私は、街が戦火に包まれようとも呑気に明日の朝食のことを考えていれたのだと思う。


「……これが依頼の品です」

「素晴らしい……よくやってくれたハンター殿。流石、ギルドからの斡旋だけある。そしてこれが報酬だが……本当に『これ』でいいのかね?」

「……はい、問題ありません」

「ふむ、なかなかいい趣味をしている」

翌日、客間にはハンターが訪れていた。
イガスとハンターがそれぞれの品物を丁重に受けとった時、ギィ、と客間の扉が少し開く。


――恐る恐る、顔を出したのは、言うまでもなく私。

それを見逃すダイガスではない。直ぐ様怒声が響く。

「シャルワナ! 部屋で待っていろと言っただろう!」

「ごめ……す、すみません!」

――いてもたってもいられなかったのだけど、流石に私が悪いわよね。


「全く……ん?」

しかし再び響くであろう叱責の直前、『彼女』が動いた。
気付けば、先程まで椅子に座っていたはずのハンターが、音も立てずにシャワの目の前に移動していたのだ。

「っ!」

「……構いませんよ。私はアン。あなたはシャルワナね? お父様から聞いているわ、……初めまして」

アンと名乗って手を差し出したハンターは、どこかミステリアスな雰囲気を持つ美しい女性で、シャワの想像してハンター像とはまるきりかけ離れていた。
滑らかな若葉色をしたポニーテールに、鼻から下を隠すようにつけられた逆三角形の不思議な柄をした布。

それら全てが美しく圧倒的で、シャワは先程の驚きと合わせて頭が真っ白になってしまった。

「あぇっ……うっ……ふぁ、ふぁい!」

――……緊張した私は酷い有り様だったわ。

「……ふふっ、顔が真っ赤よ?」

「うぇっ!?」

「シャルワナ……後で話がある」

――今思えば、このせいで私は人見知りにかかったようなものよ……。
怒りに震えるお父様の声もあの時は全然聞こなくて、後でたっぷり怒られたっけ。

「……よろしくね?」

「よ、よよよろしくお願いします!」


よよよ、と握手を交わす二人。
この時、彼女は手袋をしていた。

――しっとりと冷たい、革の感触を今でも覚えてる。
そしてこれが、私とアンさん……師匠との最初の出会いだった。



     

span style="font-size:x-large;">◆



「リオレイアを見たいんです!」


アンと出会って三日。父の計らいで、様々な話を彼女から聞く内にすっかり打ち解けたシャワは、ずっと心に秘めていた願望を打ち明けていた。


「……いいわよ」

「でも私、諦める気はありま……えっ?」

「……?」

「い、いいってことですか? でもでも危険だったりお父様が許さなかったりしませんか!?」



「……貴方は何を思って私に頼んだの? 何らかの覚悟は、貴方の目から見て取れる。貴方の父親からは『少しの間、面倒を見てくれ』なんて厚かましいことも、頼まれている。……なら特に拒否する理由がないわ」

アンさんは眠そうにも見える細目で私をまじまじと見ながら、小首を傾げた。

不思議がっている、のだと思う。
元々無表情な上、口元を隠す三角巾のせいで更に表情が読み取れないが、恐らくそうだ。

(やっぱり外と私とじゃ色々とずれてるのかな……?)

と不安になる。

「……シャル」

そんな戸惑いを見据えてか、静かな声でアンが口を開いた。

――師匠は癖なのか(その言い方もおかしいけど)喋り始めにまず沈黙が入る。
だから寡黙だと誤解されることもよくある。
……けれど大の喋り好き(自称でなく本当に)な彼女にしてみれば面白くないらしく、初めは無口を演じ、機会を見計い急に饒舌になって、相手の驚く様を楽しむことにしたと言うのだから笑えない。

――……私も驚かされたし。


「……話が決まったなら早く出発しましょう。侍女達はしっかり言いくるめて、そうね……勉強にでも精を出してることにでもしておきなさいな。……口煩い貴方の父親に、バレないためにもね」

「は、はい! ありがとうございます!」

「……感謝するのはまだ早いわ。仕事柄、守ってはあげるけれど、死んでしまったらそれはそれで仕方ないと覚悟しておきなさい。外ではちっぽけな貴方の我が儘なんて……一切、通らないのだから」

「っ!? も、もちろん分かってます!」

ぞくりとするほど、眼に凄惨な微笑みを浮かべるアン。

――そう、師匠はそういう性格だった。

――えぇ、そうね……。これが私にも多少なりとも影響を与えなかったとは言えないわ……。

――ん? いいじゃない、師弟は似るものよ。




「うふふふふっ!」

いくら脅しをかけられたとはいえ、生まれて初めて外に出られるのだ。
思わずニヨニヨとしてしまう。

この日、お父様は用事があると外出中。お母様もそれに付き添っているので、屋敷の中には今、シャワと侍女達――住み込みのお手伝いさん達。十人以上はいる――しかいない。
シャワは手早く侍女達に話をつけた。

『優秀なハンターと一緒に少し散歩に出掛けたい』

――説明はこれで十分だったわね。
元より外に出れない私を気に病んでいた彼女達だったから、快く協力してくれたわ。
ちゃんと自分達に責任がいかないよう、私の部屋の窓に縄を垂らしておく徹底ぶりでね。



「……準備は出来たようね」

「はい。しっかり着替えました!」

そう言ったシャワの格好はいつものドレス姿ではなく、アンの用意した『レザー装備』と呼ばれる初心者ハンター御用達の防具。

初心者用とはいっても本格的なハンターの装備だから、安全度はドレスと比べると雲泥の差である。

「……布の服と皮のよろいと言えば分かりやすいかしら」

「え? 何ですアンさん?」

「……こちらの話よ」

――外に出てからギルドへと向かうのは楽だった。
レザー装備を頭まで被ってしまえば誰にも私とは………いえ、違うわね。
『普通の格好』をしていても誰も私のことなんか分かりっこなかったんだわ。
社会に、街に出られるのは家長を継いでから……それが我が家の掟だったから。……本当に下らない掟。

――だから皆が皆、私に気付くんじゃないかなんて、あの時の私はまぁ馬鹿なことを考えてたものだわ。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「うわぁぁぁぁぁぁぁ! すっっごい!!」

シャワの興奮した声が野山に響く。

「……あまり遠くに行かないで頂戴。シャル、ここが森丘と呼ばれる狩り場よ」

ネコタクに揺られて数時間。
アンとシャワは森丘のベースキャンプに来ていた。
クエストは何のことはない、ネコタクチケット納品の素材ツアーである。

「リオレイアはどこにいるんですか?」

「……そう遠くない所にいるわ。その前にいくつか忠告をさせて頂戴」

「? はい」

「……一つに、私の言うことを必ず遵守すること……『それがどんなことでも』」

「は、はい!」

アンの表情には有無を言わせないものがあった。

「……二つに、ここまでの道のりを必ず覚えておきなさい。私に何があっても必ず戻れるように」

「! そ、それは……」

「……違うわ。場合によってはあなたを先に逃がす場面がくるかもしれないということよ」

安心なさい、とアンはシャワの頭をくしゃくしゃと撫でた。

撫で方は存外雑である。

「……あと、今回はリオレイアを近くで見るわけじゃ無いわ。繁殖期のレイアはとても凶暴で手に負えないから、遠くから視るだけよ。……いいわね?」

「はい。……近くでは見れないんですか」

少し肩透かしを喰らった気になる。


「……死にたいなら止めないけれど。……まぁ、そう落胆する暇はないと思うわ」

「どういうことですか?」

「……文字通り『行けば分かる』、よ」

不思議がるシャワにアンはニッコリと笑いかけた。

「……!」

何故だろう……ぞくっとする。

――ま、当然よね。どうすればあんなに爽やかに、かつ残酷に笑えるのかなんて今でも分からないもの。





ベースキャンプを出発してから30分が経過した頃、二人は傾斜の激しい道をひたすら進んでいた。

「はぁ……はぁ……」

「……もう少しよ」

「……うん」

息も絶え絶えのシャワの横で、汗一つかいていないアンが呟く。

(やっぱりハンターって凄い……)

そう思いながらもシャワは黙々と進み続けた。

自分で頼んだことだから。
夢中で、半ば意地で。
弱音なんて吐いてられない。

「……あの上よ。まだ歩けるかしら?」

アンが少し先の丘の上を指差す。
何なら手を引いてあげましょうか? そう言うような口ぶりだった。

(私はまだ頑張れる!)

「私、先に行きます!」

ムッとしたシャワはアンを越して一気に丘を登りきった。

すると、


「わぁ………」


気が付くと、目の前が青空で埋まっていた。

綺麗……、そう思って足をもう一歩進める。

その瞬間、

「……っわぁぁぁ!?」


右足が宙を踏み抜いていた。
慌てて下を見た時、シャワは全身の血が物凄い勢いで引くの感じた。


崖。

下で見た見上げる程の木々が、豆粒に見えるほどの高さの崖の上に彼女はいたのだ。

止めようにも、踏み出した足は止められない。

「……―っ……!」

落ちる……! そう思ったが余りの恐怖に喉が詰まり悲鳴すら上げられない。


地上に残った左足の踵が浮き上がった時、

「……危ないわよ?」

アンが後ろ襟を掴んでくれていた。
そしてそのままの状態で、つまり半身以上崖に乗り出した格好のままにして彼女は話続ける。

「……何時いかなる場面でも危険は降りかかるってことは解ったかしら? これからは常に平常心を心がけながら行動しなさいな」

そう言い終わるとようやくシャワは地上に戻された。

「……わかった?」

「……はい゙」


――そりゃ涙声にもなるわよ! てか今考えたら師匠はわざと私を先に行かせたのよね……。お陰でハンターとして大事なことは刻み込まれたけど……ええそう。私が高い所苦手なのはこれが原因よ。


「……ほら、あそこが見えるかしら」

未だカタカタと震えているシャワに声をかけながら、アンは一点を指差した。

「向かいの山の中腹辺りに洞窟……ですか?」

「……そう、あれが巣。リオレイアが中で卵を守っているわ」

これを、とアンが筒のようなものを差し出した。

「これは?」

「……双眼鏡よ。細い方を目に当てて、あの洞窟を覗いてごらんなさい」

言われた通りにシャワが双眼鏡を覗き込むと、目の前に巨大な竜の顔が現れた。

「きゃ!?」

思わず双眼鏡を取り落としそうになった。

「か……顔が見えました」

「……倍率が強かったかしら? ちょっと貸して頂戴」

アンはシャワから双眼鏡を受けとると、何やら操作をして再び手渡した。

「……これでもう一度」

シャワは恐る恐る双眼鏡を覗いた。

「あれが……リオレイア」

全身を覆う緑の艶やかな鱗。
折り畳まれた巨大な翼。
長く刺々しい尾。
睨んだだけで獲物を殺してしまえそうな瞳。
それらすべてが女王の風格を体現したような出で立ちであった。

「怖い……でも綺麗」

「……良い感想ね。そう、あれは恐ろしい生物よ。決して興味本意で近づいてはダメ」

「……」

もっと近くで見てみたい。そんな気持ちを見透かしたようにアンは言った。

「……さぁ、日の暮れる前に帰りましょう」

「……はい」

シャワは道を踏みしめながら無事にアンと帰った。

装備は記念だとプレゼントして貰ったので、自室に大事に隠しておいた。



そして。




――あの時の私は大馬鹿者よ。それに関しては弁解の余地なんてないわ……。
当時だって分かってた。
けど、それでも、あの時の私は……。



アンが仕事でいない日を見計らって。




シャワは初めて家を抜け出した。
「よし……誰もいない」

早朝、まだ暗い街の中。
少女は小さな足音を響かせていた。
昼間は人々で賑わう大通りも今はがらんとしていて、普段より広く見える。


「確かこっちのはず……」

身を包み込むように纏った、黒色のローブが暗闇に溶け込む。
目立たない為の配慮なのだが、ハンターの装備独特の造形がその下からでも、その存在を強調している。

レザー装備を身に付けて。キッチンから持ってきた果物ナイフを腰に差して。

少女……シャワはギルドを目指していた。

「もう一度リオレイアを……もっと近くで見るんだ」

高ぶる気持ちを抑えられずに震えた声で呟く。
頭は、そのことで一杯だった。

双眼鏡の小さなレンズに映った、自由のままに生きる雌火竜。

彼女は、シャワが欲しいものを全て持っていた。

束縛され、決められた日常を強いられてきたシャワにとって、それがどんなに魅力的に見えただろうか。


シャワは――私はそんな『彼女』の全てに、魅せられていたのだと思う。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「ちょちょ、ちょっと待って!」

「……何よ?」

話を遮ったバルスに、私は若干不満げに答える。

「ってことは一人で、繁殖期のリオレイアの所に行って来たってことだよね? よく生きて帰れたね……」

「それについてはこれから話すとこでしょうが! てか何で成功したって決めつけてるのよ!」

「いやいや、シャワなら成功させちゃうでしょ? 小さくてもシャワちゃんだった訳だし」

「……あのねぇ」

私はため息を吐いてからギロリとバルスを睨み付ける。

「私だって初めからこんな、えーと……美しくて優雅で、さ、才色兼備だった訳じゃないのよ?」

「……そこまでは言ってないよ。何で無理してまで言うのさ」

「………。あの時は本当にたまたま、成功しただけなの。誰かが外に放置してた竜車に、たまたま乗り込めただけなんだから」

「いやいや、それも才能の内だって」

「誉め言葉は可憐でキュートから受けとるわ」

「………。まぁ……それが『良かったのかどうか』は別だろうけど、ね」

先程の軽口とは打って変わっての、重みのある言葉だった。

そうね…… と私は頷く。
言わなくても、彼には全てが分かっているのかもしれない。

「さ、ここからは一気に話しちゃうわ……あまり、話していて気分の良いものでもないしね」

いよいよ、話の本題に入る……のか。

「……大丈夫かい?」

少し気後れしていると、バルスが私の頭を撫でた。



……撫でた?


撫でた!!?



「ななな、何するのよ!」

背骨が痛む程のけ反り、慌ててその手から逃れた私。
危なく椅子から落ちるところだった。

「ごめんごめん、なんかついね……」

しかし本人は飄々と、悪びれた様子はない。
それじゃ私だけ馬鹿みたいじゃない。

「もう……ちゃんと話すわよ。次は口挟まないでよね! 私も、もう余計なことは挟まないから」

気が付いたら不思議と、気持ちが軽くなっていた。



……………。



とにかく、と私は再び過去を語り始める。



焚き火の炎が少しだけ、熱く感じた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「つ……ついた」

見知ったベースキャンプへの入り口に、シャワは無事に辿り着いていた。

「アプトノスがちゃんと進んでくれて本当に良かった……」

人の足なら何倍もかかっていただろう。
竜車の扱い方を本で読んでおいて本当に良かった。


しかしここからは自分の足で歩かなければならない。まぁ、竜車が無ければ始めから歩くつもりではあったのだけど。


「持っていくのは必要なものだけにしないとね……」

双眼鏡や家から持ってきた森丘の地図、水筒、そして一束の薬草をポーチに詰め込む。

この薬草はアンから貰ったものだった。

彼女は前回の森丘に向かう際、こう言って薬草を手渡した。

『……傷を癒す道具は武器よりも重要なものよ。ひのきのぼうよりも薬草のほうが高価でしょう……?』

『ひのき……? 何でちょいちょい変なネタ挟んでくるんですか!?』

『……とにかく、薬草は大事になさいね』


………。

とにかく薬草は大事なものなのだ。
飲めば体調の回復、傷に刷り込めば回復力を強めてくれる薬草は、ハンターに留まらず街でも頻繁に使われている。
もっとも、ハンターが使用するものは市販品よりも効果と味が強力だという。
この薬草は後者のものらしいから、出来れば使いたくはないけど……。

そんなことを考えながら黙々と進んでいくシャワ。
時間はまだ朝が明けた頃なので、活動している生物は少ないのが幸いした。

そして見覚えのある丘まで辿り着く。

「ふぅ……やっと着いた。リオレイアは……まだ寝てるのかな?」

洞窟を双眼鏡で覗いてみるが、奥にいるのか姿は確認出来ない。

「……よし、行ってみよう」

場所はこの崖から伸びる坂道を通っていけば迷わず行けそうだ。

「結構急だけど、ゆっくり行けば大丈……わわっ!」

しかし足を踏み出した瞬間、脆くなった地面が崩れて片足が崖へと落ちかけた。

「………っ!」

崖下からは落ちた岩の音は聞こえない。
何とかバランスを取れたものの、これ以上進むことは出来ないだろう。
自分を助けてくれる人は今はいないのだ。


「下の森を通るしかないかぁ……」

鬱蒼と覆い繁る崖下の森を見下ろし、不安の入り交じった溜め息をつく。
でも目的のためには手段は選んでられない。
シャワは丘を降り、大きく迂回する形で森の中へと入っていった。


    

     



「うわぁ……不気味」

巨大な脱け殻や毒々しいキノコ、不気味な顔が刻まれたカボチャなどが転がる森を、シャワはナイフ片手に進んでいた。

戦闘では全く使えないであろう薄刃のナイフも、覆い繁る草や蔓を切るには役に立つ。
降りる途中で森から洞窟まで続く小道を見つけていたので、迷うことなく進むことが出来た。

「ハンターが使ってる道なのかなぁ。今日はついてるな」

そう言った時である。
身体の芯まで響くような重低音が、背後から聞こえてきたのは。

「っ!?」

反射的に振り返る、すると。



そこには先程の脱け殻の主であろう、蚊とも蜂ともつかない巨大な昆虫が迫っていた。

「ひっ……!」

『ランゴスタ』と呼ばれるモンスターだ。

尾にある鋭い針にはハンターをも麻痺させる強力な麻痺毒が仕込まれており、まだ幼い彼女が受ければショックで命まで止まることもあり得る。

「きゃぁぁぁぁぁ!!」

そんな知識はまだ持ち合わせていなかった彼女だったが、相手が危険だというくらいは感じ取れた。
シャワは悲鳴と共に森の奥へ全力で逃げ出した。

途中、奇妙な面をつけた小人や髑髏の頭をした変人などが現れたが彼女は無我夢中で走り続けた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「………ねぇ」

「あれ? もう注釈はしないんじゃ?」

「挟まずにいられないわよ! 何でバルスがいるのよ!?」

「三年前っていうと、もうあっちで色々と活動を始めた頃……そうか、あの時すれ違ったのは君だったのか」

「あぁもう……! 話してて思い出したわよ……私、あの時あなたを見てたのね……パニックでそれどころじゃなかったけど……」

そこではたと思い出す。

「バルス! あなたギルドで会ったときに初対面だって言ってたじゃない!」

「いやいや、本当に記憶に無かったんだよ! 僕があの時見たのは金色の何か……今考えれば茂みから見えた君の頭だったんだろうけど、と大量のランゴスタでさ、そいつらが急に方向を変えて僕目掛けて襲って来たから、確認するどころじゃなかったんだよ……」

「……蜂が黒いものを襲うってのは本当だった訳ね。てか後ろのランゴスタそんなに増えてたんだ……」

(そっか……一瞬とはいえ私会ってたんだ。だから気を許せたのかしら? 結果的にそのお陰で助かったわけだし……)

「うん、一つすっきりしたわ。過去を話すのも悪いことばかりじゃないわね」

「僕は虫嫌いになったトラウマを思い出して鬱だけどね……」

「そ、それ私のせいだったのね……」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「はぁ……はぁ……追ってきてない……良かった」

どれくらい走っただろうか。
気が付くとシャワは森を抜けることに成功していた。
ランゴスタがいなくなった原因を彼女はまだ知るよしもない。

「よし……。もう少し」

目的の洞窟は森から少し山を登ったところにある。
夢中で走ったせいで枝や棘に引っ掛かり、ローブはもうボロボロ。
仕方無しに脱ぎ捨てたが、下にあるレザー装備のお陰で身体には大した傷は付いていなかった。

「ハンターの装備って凄いなぁ……」

一般の衣服だったら、あのローブと同じくボロボロになり、身体が生傷がだらけになっていたはずである。

初級の防具と呼ばれてるなんて思えない丈夫さ。
それに加えて軽く、動きやすい無駄の無い作り。
これらは全て、戦いの最前線に身を置く彼らの歴史が生み出したことは間違いない。

ハンターの技術に改めて感心しつつ山を登っていると、いつしか目の前には巨大な洞窟が口を開いていた。

「………」

実際に来てみると、予想以上に大きい。
縦幅だけでも十メートルはあるだろうか。加えて中からは唸り声のような音が響いている。

怖い。

でもここで怖じ気づいても仕方がない。

(こんなチャンス……もう二度と無いかもしれないんだから!)

今まで漠然と過ごしてきた、そんな毎日に何かを見出だせるかもしれない。

自由とは何かを、知りたい。

シャワはリオレイアの棲まう洞窟へ、ゆっくりと足を踏み出していった。



    


「少し……寒いな」

一本道の洞窟を恐る恐る進んでいく。
中は思ったより暗くなく、明かりがなくとも歩くことが出来た。

しかし、雌火竜の寝息だろうか、唸り声のようなものは進むごとに大きくなっていた。

「…………」

冷たい岩肌を片手でなぞりながら前進していくと、奥に開けた場所が見えてきた。

「あそこに……リオレイアが?」



恐怖心よりも好奇心が勝った彼女は、思わず広間へと走り出したのだ。

この瞬間、彼女に火球が飛んで来ても決しておかしくはなかった。


「うわっ……!?」



「眩しい……」


しかし、代わりに降り注いだのは暖かな光。
洞窟の奥は天井が崩れたせいで大きく穴が開いており、このエリアを日の光が照らしていたのだ。
ここにリオレイアの姿は見えない。

「あれ……って」

シャワがエリアの中央に何かを見つけ、近づく。

そこにあったのは両手でも抱えきれない大きさの白い岩のようなもの。

――飛竜の卵だった。


「凄い……」

リオレイアがこの時期、洞窟を根城にするのはこのためだったのだ。



卵を守るために……。





「あ…………」



そこで気付いた。



何故リオレイアは、
『ここに居ないのだ』



何故、大切な卵に
 『ここまで他者の接近を許しているのか』

もしリオレイアの姿があったなら、彼女は最低でもここまでの巣に近付くことは無かっただろう。

いや、ちらりと目にしただけでもすぐに洞窟から逃げ出していたはずだ。

そこまでに卵を守る、子を守る飛竜の気迫は凄まじいのだ。


「あ……うぁ………」

ここで何故、雌火竜がいなかったかの話に戻る。
考えればすぐに分かることなのだが、今、足が竦んでいる彼女は自分でそれに気付いた訳ではない。

気付かされたのだ、『彼』に。

ハンター達は繁殖期のリオレイアが凶暴だからという理由だけで、この時期の狩りを避けている訳ではない。




卵を守っているのが母親だけではないからだ。




力強く羽ばたく音が上からゆっくりと降りてくる。
交互にする見張り、そのほんの僅かな交代の時間。
そんな刹那の一時に彼女は『運良く』入り込んでしまったのだ。

「ギャオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

入り口から聞こえた風鳴りなんて比較にならない。
天井から現れた、空の王者の激昂は洞窟中に響き渡った。
「………ぁ…………」

声が出ない。

頭の中で警笛が鳴り響く。

シャワは、深緑の鋭い眼孔に全身を貫かれていた。

後ろからは、火竜の足音が震動と共に近付いている。


絶体絶命。

そんな中、初めて間近で見たリオレイアの姿。


危険を冒してまで見たかった、その姿は――





美しいなどと思う余地もない程に――






どこまでも恐ろしかったのだ



「う……うぅ」


恐怖が全身を打ち震わせ、意識が遠退きそうになる。

しかしそれを堪えながら少女は視線を合わせ続けた。


今ここで死ぬとしても、絶対に目を逸らしてはなるものかと、必死に見据えた。


時間にすれば5秒にも満たない僅かな時であったが、シャワにはそれが何十分にも何時間にも感じられた。

(あ……駄目……意識が………)


ハンターでも精神を削られかねない飛竜のプレッシャー。
それを浴び続けた彼女の気力は既に限界を越していた。

徐々に視界がぼやけて、霞む。

(ごめんなさい………アンさん……私……)


そして響いた咆哮の中、シャワは崩れるように倒れ込み、そのまま意識を手放した。

(ごめんなさい………お母様………お父様………)







その後に起きる閃光を、叫びを、爆音を、風を切って走る音を、少女が知ることはない。




         


目を覚ますと、私は見覚えのある背中に背負われていた。

「アン………さん?」


彼女は黙々とベースキャンプに続く道を歩いている。


(助けられた……の?)


「……私はとても心配したのよ?」

静かなトーンでアンさんは、唐突に背中の私に語りかけた。

「………怒らないんですか?」

まだ夢か現実かの区別もつかないまま、思わずそう聞いてしまう。

自殺行為と呼んでおかしくない行為をした挙げ句、最悪の事態を引き起こしたこんな私を助けるために危険を冒したのだ。

「……勿論怒っているわ。けれどそれは私の役目ではないの」

「え………?」

どんな叱咤にも耐える覚悟だったシャワはその答えに疑問を覚えたが、自分がどれ程に幼稚で愚かな考えであったかをすぐに知ることになった。


「シャルワナ……!!」

ベースキャンプに着いた時、いや、着く前にキャンプから誰かが飛び出して来た。



それは紛れもない母、シエラ=イーゼンブルグの姿だった。




「お母様……!?」

信じられない。

まずはそう思ってしまった。

本来、あまり体の強くなく大人しい人なのだ。
そんな彼女が肩で息を切らし、ボロボロに破けたドレスと土だらけの素足でいることがまず信じられなかった。

「お母様どうして……っ!?」


乾いた音が辺りに響いた。


「あ………」


母から平手を受けたのは、生涯でもこの時ただ一度だけだった。

「モンスターを見てみたいという強い気持ちも、それを実行する勇気も蔑ろにはしません。でもね、無謀なことだけはしないで! それだけは……見極めれる人間になりなさい」


ふらふらとしながら、シエラはきつく唇を噛んで私にそう言った。
私と同じ金色の髪がそれに合わせて揺れる。


(あ…………)

私はある一つの事実に気付き、愕然とした。

(お母様は今日『体調が良くなくて病院に行っていた』はずなのに………なんで、どうしてこんな所に…………)

初めて受けた母の叱咤。


そして彼女は涙を流して私を強く抱き締めた。

「ごめんね……あなたの気も知らずに縛り付けてしまって……出掛けたかったよね……遊びに行きたかったよね……色々なものを見たかったよね…………」

「お母様……違うの……私何てこと……ごめんなさい……ごめんなさい……!」

「………」

アンさんは無言でキャンプを離れ、暫くしてから促すようにネコタクを引き連れて来た。



帰り道、二人は何かを話していたようだが、私はまた眠りについてしまった。

気がついたら自室のベッドの中だった。

「………」

ぼんやりとした頭で私は母の言葉を思い返す。

『無謀なことだけはしないで!』


その言葉が彼女の遺言に変わったのはそれから二日後のことだった。



        



母の葬儀から二日が経った。
未だに頭が上手く動かない。

あの騒動から二日目の朝、出掛けの父を男の凶刃が狙った。
それを母は咄嗟に身を呈することで守ったのだそうだ。

逆恨みによる犯行らしく、男は間も無く取り押さえられ、捕まった。
母は致命傷こそ免れたものの、病院での治療中に息を引き取ったそうだ。

体力の低下が原因だったらしい。



体調の悪化が。





そして父は娘が行方不明になった時も母の葬儀の時も、一人で商談を進めていたそうだ。


それも、私は後に知った。



何も、知らなかった。


あの後、私は精神的な疲労からの高熱で寝込んでおり、一度も母と会う機会がなかったのだ。


何も知らないうちに全てが終わっていた。


全てがあの雌火竜を見てから起きた。
そんな言い訳まがいの恨みをあの飛竜にぶつけたいと思ったが、それこそただ自由でいただけの『彼女』にとっては何の関わりも無いことで、私の我が儘に過ぎない。

全て自分が招いた。
私が無知だったから。
非力だったから招いたことだから。




「アンさん……私を弟子にしてください」


私が最後の我が儘を言ったのは、それからすぐのことだった。



「……なら今から私のことを『師匠』と、呼びなさいな」

私の気持ちを知ってか知らずか、アンさん……師匠は淡と言った後、元から細い眼を更に細めた。

「……ただ私の教え方は少し厳しいわよ」




『最も選びたくない死に方百選』というハンター御用達の冊子に『彼女への弟子入り』という項目が記されていることをシャワが知る由もなかった。









……そして一年の歳月が経った時


日の照りつける砂漠に銃声が一つ響いていた。



「……右。左へ。そこでリロード、速射……そう」

「はぁ……はぁ……やった……」

アロイ装備に銀のボウガンを掲げた私の目の前には、力無く倒れるダイミョウザザミの姿があった。

「……初戦でそれだけ動ければ上出来ね」

「あ、ありがとうございます! 師匠!」

アンさんに弟子入りしてから約一年。
地獄の方がマシでは無いかという訓練を文字通り死に物狂いで乗り越えた私は、ついに念願のハンター登録をしたのも束の間、いの一番で盾蟹の狩猟に連れて来られたところであった。

父には外の環境を学ぶ研修だとごまかしての強行だ。
バレたら止められるどころではなかっただろうが、そこはアンさんが上手く取り計らってくれた。

「ふぅ……何とかなったわね」

帰りの分のクーラードリンクを飲み干して軽く息をつく。
始めは少し苦戦したが、ダイミョウザザミのプレッシャーも攻撃も師匠に比べれば大したことなかったように思えた。

「……勝てたからといって油断を生んではダメよ? それは貴女が一番嫌うことに近いものよ」

「はい。分かっています」


「……ならもう、……あら、気球が何か反応してるわね」

普段動きを見せない気球が信号を慌ただしく発していた。

「本当ですね……一体何が……っ!?」

その瞬間、気球すれすれに何か巨大な影が飛び去って行った。
姿は逆光で分からなかったが、見たことのない容姿をしていたように思える。

それに――

「師匠! あの方向には街が……!」

慌ててそう言ったが、アンは何故か含み笑いを浮かべ、自前のボウガンに手をかけていた。

「……丁度いいわね。行くわよ、『シャワ』」

「はい!」

シャワという名前はギルドに登録した際につけた偽名だ。
初めは違和感があったが、呼びやすいのかアンは普段でもそう呼んでいて、私もすっかり偽名のほうに慣れてしまった――なんて今はそんなことを思ってる暇ではない。
素材の剥ぎ取りもそこそこに、急いで私たちはドンドルマへと向かった。





「何よ………これ」


「……やっぱり大物ね」

私たちが辿り着いたとき、そこでは燃え盛る街と炎王龍『テオ・テスカトル』が、盛大に爆炎を散らして盛大に咆哮をあげていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「ドンドルマに炎王龍……あの時か」

シャワの話を聞いたバルスが、顎に指を添えながら呟いた。

「……もしかしてあの場にいたの?」

この男もギルドナイトの端くれだ。
また出会っていたかもしれないと思い訪ねてみたが、バルスは「いや」と首を振った。

「僕はその時別の場所で仕事をしていたよ。話は後から聞いたんだけど……炎王龍、君が倒したのかい?」

「……違うわよ」

やけにブスッとした返事になってしまった。

「イャンクックなんかで浮かれてた私は役立たずだったわ……私は師匠の後ろで援護していただけ」

ガンナーの後ろから援護よ、と皮肉めいた口調で言う。

「テオ・テスカトルをほぼ一人で倒しちゃったのは師匠……アンさんよ。そして手柄を私に全部譲って姿を消したの」

「手柄を全部……? じゃあシャワのHRが急に上がったのって……」

「そう、テオ・テスカトルを討伐したってことで上がった訳。お陰で出来たことがあってね……本当にあの人はどこまで考えてたんだか」

「! 出来たことってもしかして……」

バルスが最後まで言う前に、私は人差し指を立ててそれを止めた。

「それは私に言わせて。……これが最後の話だから」

焚き火の火は大分小さくなっていた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




炎王龍の襲来から数ヶ月が経った夜、ちらほらと灯った松明の間を縫って一つの影が街を駆けていた。


ザザミ装備とアンさんから譲り受けた銀色のボウガン―シルバースパルタカス―が背中で軽くぶつかり、乾いた音が小刻みに鳴る。

向かっている先は我が家であるイーゼンブルグ家の屋敷だ。

父は母の死後、何かに憑かれたように家を空けることが多くなった。
私のことも気にかけず、それどころか炎王龍の襲撃の後は私を家から追い出し私兵を雇って身を固め、近づくことさえ難しくなっていた。

しかし私はどうしても父と話がしたかったのだ。
アンさんがいなくなってから一人でクエストをこなし続け、ある程度の信用も会得した今が行動の時期だった。

「何者だお前は!」

「ちょっと通らせて貰うわよ?」

私は、堂々と屋敷の真ん前から突入した。

父の私兵を薙ぎ倒して奥へ進む。
私の家でもあるんだから遠慮はしない。




「お父様、こんばんは」

ダイガスは大広間に一人、椅子に腰かけていた。

「よく来たなシャル。今はシャワと呼んだ方がいいのか?」

しばらくぶりにはっきりと見た父の顔は少し痩せているように見えたが、威厳のある態度は変わりない。

「……全部知ってて、やってたのね」

「さぁ、どうだろうな」

ボウガンを片手に持ったシャワに対してまるで動揺することなく接するダイガスに、シャワは憤然と言い放った。

「お母様の事……何だと思ってるの!? 葬儀にも来ないで……商談がそんなに大事?」

「随分と口が悪くなったな、シャル。きちんとした言葉遣いを教えたはずだが」

確かに私の性格はあの一年で大きく変わっていた。
あんな淑やか(しとやか)な性格では乗り越えられる訳がない。

「お父様には関係ないことよ。今夜は一つ言いたいことがあって来たの……私、この街を出ることにしたわ。ハンターとして、旅をしながら知識を得るの」

「ほぅ……」

その言葉に初めてダイガスは驚いたような顔を浮かべた。

「なら我が家を継がぬと、そう言いたい訳だな?」

「……そうよ」

その瞬間、ダイガスが勝ち誇ったような顔を浮かべたのが分かった。

「……なら『あの子』に継がせてもいいと、そういうことだな?」

「なっ……!!」

シャワの顔が青く変わる。

「あの子には関係ないでしょ!?」

「そうだろう、そうだろう。何も知らぬ妹に重い責を被せようなどと、姉が思うはずがないな?」

額から嫌な汗が流れ落ちる。
やはり引き合いに出された。
考えてはいたがそんなことを言うはずがないとどこかで願っていたのに。

私には妹がいる。
歳は5つ程下だ。
しかし妹は、イーゼンブルグ家の『跡継ぎ候補は一人のみ』という仕来たりによって生まれてすぐに隣街の修道院に預けられたのだ。

男の跡継ぎを願っての第二子だったが、生まれたのはまたもや娘。
体の弱い母、シエラに考慮して第三子は断念。
長女シャルワナを正式に跡継ぎ候補としたのだ。

妹と会ったのは、五年以上前のとある式典での一度きり。
離れ離れの姉妹を嘆いた侍女達がこっそりと会わせてくれたのが最後だ。
自分の分まで自由に生きて欲しいと、そう願うことで今までの束縛に耐えてこれた。

「……分かったわ、家は継ぎます」

「うむ、それでこそ姉だ」

大事な妹に責任を負わせるわけにはいかない。
でも負ける訳にもいかない。

「でも条件があるわ」

ここからが勝負だった。





「――……成る程。家を継ぐ時期までの自由か。いいだろう、ここまで辿り着く実力があるなら、野垂れ死ぬ心配もあるまい……最後の自由時間を有意義に使うといい」

「……契約は成立ね」

やはりこの家を一代で築き上げただけはある。
ハンターである私がボウガンを突きつけた状態で、ここまで譲歩せざるを得なかったのだから。

私はそのまま黙って父に背を向けると、屋敷を出て隣街のギルドへと向かった。
目的は当面の資金集めと、情報収集。
アンさんを探しながら世界を見るために旅にも出たかったが、一人だとまだ不安だ。

(頼りにできる仲間……か。そんな人に会えたらいいな)

期待と不安を背負ってドンドルマの街門を抜ける。
三年後の対決に向けての準備の始まりだった。


ダイガスがユクモに現れるまでの一年半。
シャワが自分の人見知りさに絶望したり、怪しい男に出会うのは、もう少し先の話である。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「…私、父を信じていたかったの」

話が終わり、焚き火も消えた頃、黙っていたシャワがポツリと口を開いた。

「でも調べても調べても悪い噂ばかり……会って話せば何かが変わるかもって期待していたけど、それもダメだった」

話ながら、自分に諦めをつけているのが分かる。
しかしそんな中、バルスがふと思いたったように顔を上げた。

「……何かを隠してるんじゃないかな?」

いつの間にかバルスは真っ直ぐにこちらを見ていた。

「え?」

「実際に会ってみて思ったんだけど、シャワのお父さんはとても優秀な人だ。一代で富を築くなんてことは並大抵の事じゃない」

「でもそれは裏で色々と……」

「それに、シャワが行方不明になっと時もお母さんの葬儀の時も、お父さんは商談なんかには行っていなかったと思う」

その言葉にシャワは目を見開いた。

「なんで……そんなことが?」

「お父さんを狙っていたのは恐らく個人じゃない」

「!?」

「お父さんみたいな人は周りに敵が出来るのが必然なんだ。その危険が周りに降り掛かるのを抑える必要が彼にはあった」

「じゃあ家に立て籠ったのも……」

「炎王龍の騒動に紛れての行動を予測してたんだろうね。シャワがハンターになるのを止めなかったのも護身が出来るようにしてほしかったからだろう。アンさんも一枚噛んでるかもしれない。君が行方不明になった時は、人質目当ての誘拐じゃないかと情報戦を繰り広げてたんじゃないかな」

「な………」

言葉が出せない。
そんなこと、考えも出来なかった……ただ噂に振り回されて……。

「そして一年半の歳月をかけて君に自ら会いに来たってことは、その問題を解決したってことだと思う」

「それじゃあ今まで……!」

「君に安全な家を継いで欲しいっていう親心と、プライドなんじゃないかな?」

何てことだろう……私は言い様のない気持ちを抑えて空を仰いだ。

お父様に何て顔向けすればいいのか分からない。

「でもシャワがしっかりと行動してくれたからこそ、だと僕は思うね」

「……あんまりフォローになってないわ。結局お父様の手のひらの上だったんだし」

「素直じゃないなぁ。それって信用の裏返しじゃない」

「いいのっ! お父様のことだからどうせすぐ帰ってくるでしょうけど、しばらくは私が切り盛りしないといけないんだから、早く帰らないといけないわね」

「あ、それなんだけど」

「ん?」

バルスがやや視線を外しながら呟く。
バルスにしては珍しい仕草だ。

「まだ敵がいるかも分からないし、んん……ここは一つ騎士のレンタルはいかがかな?」

頼りになる、私の相棒は立ち上がってすっと手を差し伸べた。

「……ふふっ、長期契約ってことで一つ頼もうかしら?」

私はゆっくりと、しっかりとその手を取って立ち上がる。

「じゃあ出発は早朝! 着いたらバリバリ働いて貰うわよ!」

「えぇっ! もう空が明るんできてるけど!?」

「なら急いで準備しなさい! 寝れるなんて思わないでよね!」

二年後に何が起こるかは分からないけど、私には私でしなければいけないことがある。
理想の家を目指して、今度はモンスターより聞き分けの悪い敵を相手にしていくのだ。



彼女がドンドルマに着いてから数ヶ月。

愛銃だったシルバースパルタカスは、念入りに手入れされながら自室に飾られている。

  
                           【次章へ】
プロフィール

楽太郎

Author:楽太郎
モンハン好きの誰しもが自分の『世界』を持っているはず。この話はそんな世界の一部分です。
楽しんで読んでもらえたら幸いですね
(・◇・@)

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